昔のプロ野球では、先発の投手が完投するのが普通で、先発の後に出てくる投手は1枚格が落ちる投手という見方でした。その後、先発・中継ぎ・抑えといった分業制が徐々に定着し、様々な名セットアッパーなどが生まれました。それでもやはりマスコミの取り扱いや年俸といった評価の面でも、中継ぎ・抑えは先発よりもやや劣るといった見方は拭い切れない状況でした。その考えを完全に拭い去ったといっても過言ではないのが、ハマの大魔神という異名で他チームから恐れられ、横浜ベイスターズやMLBのシアトル・マリナーズなどに所属していた佐々木主浩投手の存在です。
佐々木投手は1989年横浜ベイスターズの前身である大洋ホエールズにドラフト1位で入団します。佐々木投手が頭角を現し始めたのは、2年目のシーズンに抑えとして抜擢された時のことです。佐々木投手はその代名詞ともいえる落差の大きいフォークと速球を武器に大活躍しました。その活躍の中でも圧巻なのは1998年のシーズンです。この年の佐々木投手は51試合に登板し45セーブ、防御率はなんと0.64を記録し、この年の横浜ベイスターズの優勝の立役者といっても過言ではないほどの大活躍でした。この活躍で自軍はもちろん、他の球団にも抑え投手の重要性をまざまざと見せつけることとなりました。
ピーク時の年俸は推定5億円という当時の抑え投手としては破格の金額で、この数字からも佐々木投手がいかに凄かったかを感じさせる数字でもあります。その後各球団絶対的な抑え投手という投手を必ず1人作るようになりましたが、このスタイルは佐々木投手が確立したといっても過言ではありません。